こんにちは。くろしばです。仕事をしていると左脳フル回転ロジックマンこそ至高!と勘違いをしがちですがどうもそれだけではない?と思うことがあったので書いてみます。
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そもそも右脳と左脳とは
ここでいう右脳とか左脳とかはざっくり、理論的なことを考えると主に作動する左脳と芸術などひらめきの発想をするときに作動する右脳、という文脈です。
これが普段どのように活躍しているのか、それを経験から考察してみた、というお話です。
左脳が正義?
ロジカルシンキングとかディベートとか筋道をたててとか、おおかた仕事に必要な要素って左脳フル回転なものばっかりかと思っていました。
右脳というのはどうも再現性のない不確実なものをぱっ!っとアウトプットする、みたいなイメージがあり普段の仕事の時に活躍している気がしませんでした。
芸術家や作家など独創的なアイデアこそが自身の価値であるような職種以外は役に立たなそう、とか思っていたのです。
感情論を抜きに冷静に進めてこそ成果がでるもの、それが仕事じゃないか。
そう思って効率と知識を意識した仕事を繰り返していた期間もありましたが、コロナ禍でよく耳にしたのが、
出社してみんなで会話するといいアイデアがでるといった意見です。
集まって会話?
そんなことしたら人数 × 時間の工数が失われるただの損失だ!
なーんて左脳さんの声が聞こえてきそうです。
システム開発というロジカル極まりない世界にいる僕も少なからずこのような考えは持っています。
でも、最近自分の価値や能力を上げてくれるのが必ずしもこの四則演算の世界だけではない気がしてきたのです。
アニメの話をしていたときに
人によってものを見る際にに左脳で捉えているか右脳で捉えているかが違うんだなと感じたシーンがありました。
それはアニメを見ている時です。
「鬼滅の刃、見てる?」
久々にあった兄に言われたことを思い出しました。
僕はこのとき言ったのです。
「前に最終巻まで貸したじゃん、読んだんじゃないの?」
すると兄は言います。
「いやー、絵が綺麗なんだよね。ドラクエみたいで」
昔から兄は綺麗なものを見るとドラクエみたいとしか表現しません。
海がドラクエだわー!
見てみ!雲がドラクエじゃね?
可哀想なやつだ、、と思ったこともありましたが今回のことで改めて言語化して考えてみると、
僕はアニメをただのストーリーとしてしか捉えていなかったのです。
炭治郎がどう戦ってハッピーエンドを迎えるのか、それを僕は知っていたのです。
でも兄はどうでしょうか。
知っていた、のは確かで(なんなら忘れてたかも)でも、感じていたのです。
感性ってやつですね。
思えば兄は小学校の頃から図工で描く絵はすべて入選するような才能の持ち主でした。
なんだか全てが繋がった気がしたんです。
思えばつい最近まで旅行に行くのもお金がもったいないと気が進んでいませんでした。
"感じる"ことの素晴らしさに気づけてなかったのかもしれません。
どちらも磨いていく
元来どちらかに偏った気質を持ってる人がほとんどなのでは?と思いますが、どちらにも価値があることをしっかりと認識せねば、こう思いました。
筋道と緻密な計算によって出せる結果もかなりのところを締めているかもしれませんが、もっとそれらの軸から自由になる発想も持っていないとクリエイティブな成果は出していけないのかもしれないなと思います。
システムに夢中になって数年、計算の外にあるものの大切さを忘れてしまっていた気がします。
まとめ
仕事も所詮人生の一部なんですが、人生における価値観なんて右脳でしか語れないのかもしれません。
数値で語るような、
いくら稼いだ、何人に使われるサービスを作った、なんて定量的なことをいくら成し遂げても本人がそれを楽しいと"感じる"ことができなければそれはその人にとっての正解ではないはずです。
休憩していた右脳を少し動かす生活を送ってみようかと思います。
ではでは( *`ω´)ノ
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