えんじん

Elasticな人生を

経営を楽しむスタートアップの開発について考えてみた

こんにちは。くろしばです。スタートアップを共同創業して2年ちょっと経ちました。

エンジニアとして開発の責任を追うものとして、創業時は1人がいくつもの役割を背負うのは当たり前のことだと思います。

そんな中で自分がどんな形で仕事をしていくのが良いのかを考えました。

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メンバーと役割

大手商社出身の友人を代表として、そこに参画する形でスタートアップを運営しています。

当初は僕が開発で友人がその他全般くらいのなんとなくのイメージを持っていました。

コンセプトを練り直したりその度に開発しなおしたりと遠回りしながらも最初のプロダクトを作り切ることを目指している現在ですが、その間有志のメンバーが増えたり減ったりしています。

今は結局2人に戻った人員構成なのですが、必要に駆られて友人にも開発作業を手伝ってもらっています。

それどころか地頭の良く努力家の友人は次々とスキルを習得し、僕がそんなに強くないAWSの構築もぐんぐん進めてくれます。

バイオリズムを俯瞰で見る

ここのところバグが絶えず、日中の生活のための仕事以外の時間をスタートアップにフルコミットという生活をしていて疲れたのもあったのかふと虚無感に襲われました。

毎日めっちゃ大変なのに自分ってほんとに必要なのかな。

感情的に言うと

僕はなんのために、なんかもう疲れた、やめちゃいたい。

なんてことがよぎりました。

さすがにこれでやめてしまったら子供のお遊びになってしまうので少し冷静に考えると、

①秋頃から休みなしで開発し続けて気持ちが疲弊

②妻の妊娠がわかり嬉しい気持ちと反面心の準備ができておらず頭がパニック

③現場の仕事でどハマりしてマネージャーにフォローされることが続き調子がでない

④趣味のスポーツも若い世代が加入したことで自分の老いを実感

なんかいろいろ重なって良くないバイオリズムに突入したと言うことですね。

20代はもう少し深く落ち込んでいたと思うのですがこの数年立てほうれい線が目立ってきているわけではないので冷静に分析してみました。

①体力限度まで頑張ってるんだから疲れるのは当然。健全な魂は健全な体に宿るので1日でも2日でも休憩するのが得策

②これは嬉しいこと。家族優先で生きていくことは決めているわけなので何か問題が起きる前からパニックになる必要はない

③たかだか自分程度のエンジニアがフォローされることなく絶好調で仕事をし続けることなんて無理なんだから落ち込まない。努力してきた分は涼しい顔してこなせることもあれば、業界歴の長いマネージャーに敵わない部分があるのは当然。SESだろうとビジネスの課題解決のために協力して前に進めていくというミッションに変わりはない。

④避けられないんだから変に落ち込まない。ミスなくプレーする自分を演じたいけどここらで楽しみ方を変えるフェーズかも。だいたい一日中モニターしか見てないおっさんが身体能力で10代に追いつけないのなんか当たり前。

あと全体通して、なんか何もかもうまくいかないなぁ、なんてこと今までもたくさんあった。

どうやって解決してきたか?

1個ずつ向き合ってクリアしてきた、という見方もできるが振り返ると時間が経ったら外的要因で潮目が変わってなんとなく乗り越えた、ということばっかりだ。

その外的要因を少しでも手繰り寄せるためには、変わらずポジティブに頑張り続ける以外ないということを学んできたはず。

どんな人間としてパフォーマンスを上げるのか?

と、センチメンタルモードをしめくくったところで仕事の話。

会社を辞めるときにつくづくこんな仕事はしたくないと思ったことがありました。

それは、○○よりもうまく、○○よりも優れた仕事をする、ということです。

部署内相対評価だった評価制度はいやでもチームのこの人よりもいい仕事をするみたいな意識を強いられていた気がします。

僕自身人と比べやすい性格だったので尚更です。

そうじゃない場所を選んできたはずなのに、気づくと友人と比べ自分は能力が低いなー、開発周りすらろくにもできず、、

なんて考えていました。

確かに会社の組織を考えるときに自分がどこまでやりきってどこからを外注したり外の力を使うのか、その線引きを考えるのは大切かもしれません。

でも本質はそこではないなーと。

仮に自分と仕事をする人のスペックがとても高く、自分より倍の価値があると感じるとします。

それは不幸ではなく幸運なのかもしれないということです。

この人には一生勝てないかもしれないけど、この人と組んだらこれが達成できる。

「これを達成する」それが仕事の本質で個人の評価とか実はどうでもいいんです。

ここにコミットするように動き続けると不思議と個人のパフォーマンスも少しずつ上がっていくということなのでは?と思いました。

たどり着いた二重人格

さらに、事業を育てていく上での自分の役割にも同時に答えが出始めている気がしました。

ここまでの問題はエンジニアとして自分がやるべきこと、みたいな枠が自分を苦しめているとも取れます。

エンジニアとして、開発に詳しいものとして、みたいな目線で見ようとすると会社に必要なものが見えなくなることは多くないですか?

その組織にもよるかもしれませんが、作業者としてできなければならないことと、プロダクトを構築していくこと、さらにそれが会社にとってどのような影響を与えているかってまるで抽象度の違うことがらですよね。

でもチームによっては、いや、多くの事業会社でこの複数のレイヤーを跨った仕事が求められているように思います。

インターネット黎明期のようにシステム構築をすることがそもそも専門家がいなければできないハードルの高い仕事だった頃と比べると、今はだいぶ楽にコーディングできるようになっています。

GAFAが作ったプラットフォームの上でMITライセンスが保証したフレームワークに言われた通りに、WEB上のドキュメントやChatGPTの情報に助けを借りながら構築するわけです。

こうなってくるとコードを書くだけのエンジニアは相対的に需要がなくなってきます。

通常のBtoCサービスでは選び抜かれたエンジニアしかできないような実装作業はあまり求められません。

それよりもいかに効率良く、ビジネス要件を察しながら工夫した仕事ができるのかと言う力の方が重宝されます。

専門線の高いBtoD(Business to Developer)の事業とかだとまた違うのかもしれませんが。

組織が大きいとビジネスレイヤーに寄り添う役割と作業者は切り離すことができるかもしれませんが、小さい組織だとなかなかそうは行きません。

全体のことを考えなきゃいけないのに実装にハマると全てを忘れてしまう、逆に全体を意識するあまり細かい作業に入ると時間の経過にそわそわしてしまう、こんなことがよく起きます。

会社を前に進めていくためにはどちらも落とすことはできません。

もともと資本力が強靭なら実際の開発作業を全て外注するなんてことも可能かもしれませんが、そういった進め方には綻びが出ます。

そこでたどり着いたのが1人で2人を演じると言うことです。

複数のレイヤーを跨るような仕事は得てして片方の言い分がもう片方には辛いのです。

真逆の思惑が自分の中で燻って消耗してしまうのであれば、それぞれの意見を持った人格に独立させてしまうのが良いのではと思いました。

全体を俯瞰して見て経営にとってどのような開発が適しているかを監視し続ける取締役開発部長な自分とものを作り上げることにフォーカスしたプログラマーな自分を分けます。

2人は協力しながら話し合い、部長自分がイニシアチブを握りPG自分が持続可能に作業できるかをウォッチしながら指示を出します。

主人格は部長自分です。

ブラックな労働を強いてPG自分を潰してしまえばそれは部長の責任でもあります。

PG自分は黙々と自分の作業に没頭します。

他のことは考えなくてもいいです。

でも週に1度、役員会議の日は欠勤して開発作業をストップします。

その日、部長自分はPG自分の進捗報告を踏まえて舵を切り直す。

お互いの利害が一致しづらい現場と管理者に人格に線を引くことで折り合いがつけられそうだなと。

まとめ

最近の散らかった思考回路をまとめるために書いて見ましたがまだ散らかっているかもしれません。

でも作業に向き合う苦しさを全体の方向性に持ち込んでしまったらいい結果は望めません。

もともと人間フォーカスでものを見てしまう自分は、ものごとを人ごとに分けた体にしてみるとクリアに状況が把握できるようになった気がします。

引き続き、バイオリズムのボトムを抜け出すべく少しずつ努力を重ねます!

ではでは( *`ω´)ノ

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年齢

1992年生まれの31歳。ゆとり世代真っ只中

住んでるところ

東京都中野区

趣味

バイク。中型→大型を経由してカブにたどり着きました。散歩。STEPNを相棒に毎日健康を意識。

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