僕は自分で自覚がある程度にはモチベーションが感情に左右されやすい。30過ぎて感情のままに生きられる人も少数だと思うので、なんとか仕組み化してこれを克服したいが、最近少し気づきがあったので備忘も兼ねて書いておきます。
今までの経験からわかること
恥ずかしながら僕の仕事のモチベーションはつい最近まで人に褒められることだった。上司や同僚から一目置かれている、そういった心地の良い状況のために頑張っていました。しかしそれだと成果にコミットすることができず、周りの人のご機嫌を取ったりよく見せたりすることに労力が割かれていました。
この動機ではうまく回っていかないことはわかったのですが、人間何かしらの報酬を期待するから頑張る気持ちになれるものなのではないかと思います。その報酬を自分でうまく与えていく必要があります。
うまくいきそう!が報酬
エンジニアの仕事が楽しくなってきてモチベーションが高かった頃を振り返ると、4年目くらいに徐々にWEB技術の構造が自分の中でつながってきた感覚がありました。つまり、”この案件完遂できそう”という感覚こそがモチベーションの源泉でした。もっというと完了した達成感を知ったことによって、もう一度その快楽を得たいという中毒を発生させることでアドレナリンを出して頑張ってこれました。
年齢を重ねると技術力だけがあっても活躍することは難しくなってきます。そこで僕の中で欲しいものは、その案件を成功、もっと言えば自分の裁量でことを運び事業にコミットする力に変わっていきました。難易度の高すぎる目標や仕事に直面していると、この”自分が事業にコミットできる”という感覚を感じることができませんでした。ついていくのがやっとで、いずれ実力がついてできるだろうという期待感があればまだ粘ることもできます。しかしあまりにも遠い目標だとその粘りもできず気持ちが途切れてしまいます。
自分にとって適切な目標
これならうまくできて快楽を得られそうっだ、というラインに目標を設置することでモチベーションが保てるというのが今僕にできる精一杯の言語化なのですが、この目標は低すぎると快楽も少なくなります。達成したところで自分の人生が何も変わらないほど簡単な目標はおいても意味がありません。かといって前述の通りどんなに頑張っても達成できないほど難しい目標はおいても追いかけきれません。この絶妙なバランスは自分自身しか知ることができないので、適切というのは自分しか置くことができないわけです。
今振り返ると新卒で入社した会社の目標設定面談では、上司から望まれることを目標としておいていました。当然他人の意思で置かれた目標には自分の責任がのらないので、未達が見えてくると人のせいにしたくなります。これは悪循環で、自分の目標を設定するときは上司が何を言ってこようとまずは自分の意見、自分がどんな目標を設定してどんな姿に近づいていきたいかを猛烈に伝えることが必要だったわけです。(もちろん組織が求めるものとのすり合わせは必要ですが)
つまりモチベーションを保つためには
目標という少し長期スパンの話に脱線しましたが、どんなことを行う上でも”できそう、できたら嬉しいだろう”が感じられないとやる気なんてすぐに消えてしまうわけです。
とはいえ全てのことが都合よく自分の実力にアジャストされているわけではありません。
ではどうするか。
本末転倒かもしれませんが、まずはこれらの構造を理解することです。ぱっと見できなそう→分解→こうすればできるかも→やる気 のステップをスムーズに流していくことこそがモチベーションを途切れさせないためのアクションです。多くの場合はぱっと見できなそう、のステップで手を止めてしまいモチベーションが消滅します。ぱっと見できなそうと思った瞬間に物事を分解して自分ができそうなところ、できなそうなところを見定めます。手間ではありますが解像度を上げてみていくと意外とできそうなことだと気付けたり、できないものは頑張ってもできないので誰かに助けを求めたり。ともかく手を止めずに解像度を上げてみてみないことには誰にどんな助けを求めていいのかもわかりません。
ただ、一度このサイクルが回ることを知りさえすれば、ぱっと見できなそうなことが出てきても分解すれば物事は進むんだ、と頑張ることができます。つまり全ての出来なさそうなことにも初手が動くようになってきます。
まとめ
思ったまま書いたので支離滅裂になった気がしましたが、要はできなそうなことを分解するというステップさえ踏めば良いわけです。問題はこのできなそうなステップにいるときに、これを少し我慢すればできそうな世界が待っている、ということを忘れてしまうことです。
どんなことも初手のカオスを少しだけ粘れば、後半はすっと流れていくことが多いことを頭に叩き込みながら日々の仕事のモチベーションを上げていきたいです。
ではでは( *`ω´)ノ
